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NHK 龍馬伝

第41回さらば、高杉晋作

第41回さらば、高杉晋作。いよいよ、亀山社中が会社名変更です。土佐藩と手を結び、龍馬も土佐藩に復帰、亀山社中改め、海援隊となりました・・・そしてやはり、龍馬伝でのシーン、海援隊の文字、手島右卿賞を受賞した紫舟さんの文字?ですね。


今回の見所は、龍馬と、死を間際にした高杉晋作と海での最後の話のシーンですね。キタッーって感じでしたね。高杉晋作については過去の記事を参考にしてください”坂本龍馬と高杉晋作”。伊勢谷祐介・高杉晋作もこの回で見納めです。


そして、岩崎弥太郎も才覚を発揮し始めてきました。商魂たくましく野心むき出しで龍馬にぶつかっていきます。また、龍馬は海援隊の仕事始めでいろは丸で大阪に向け出航です。ビジネスと大政奉還の二つをこなそうとする坂本龍馬。これからは龍馬暗殺まで矢継ぎ早に話が進みます。


これからもNHK大河ドラマ「龍馬伝」を側面から応援をし続けたいと思います。これからも応援宜しくお願いいたします。


※いろは丸
1862年、イギリス・バーミンガムで建造、アビソ号と命名される。1866年6月、大洲藩郡中奉行であった国島六左衛門が長崎において坂本龍馬と五代友厚の仲介によりポルトガル領事ジョゼ・ダ・シルヴァ・ロウレイロから4万メキシコ・パタカ(当時のレートで1万両)で購入、いろは丸と改名する。1866年12月、大洲藩は幕府にいろは丸を、城下町人の購入船として届け出る。1867年4月、大洲藩はいろは丸を坂本龍馬の海援隊に貸与、19日(5月22日)に龍馬は大坂に物資(鉄砲)を運ぶために長崎を出航。23日(26日)、紀州藩船明光丸と衝突し積荷もろとも沈没。長崎奉行で海援隊と紀伊藩で争われ坂本龍馬はミニエー銃400丁など銃火器3万5630両や金塊や陶器など4万7896両198文を積んでいたと主張、紀州藩は8万3526両198文を弁償した。これは日本で最初の海難審判とされている。しかし、近年行われた調査では、龍馬が主張した銃火器などは見つかっていない。・・・ウィキペディア引用

<<NHK龍馬伝、龍馬・後藤象二郎龍馬伝ryomadenNHK大河ドラマ「龍馬伝」の撮影終了>>

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