サイトマップ

龍馬伝ryomaden > スポンサー広告 > 龍馬の生涯

龍馬伝ryomaden > 龍馬の生涯 > 龍馬の生涯

スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

龍馬の生涯

龍馬の生涯

龍馬の生涯
天保6年(1836年)1月3日
現在の高知県高知市上町に誕生する。 誕生する前、母、幸は龍が天に昇る夢を見たという。

嘉永3年(1846年)
母・幸死去。12歳の時、小高坂の楠山塾で学ぶが退塾。14歳で高知城下の日根野弁治の道場へ入門し、下士の習う小栗流和兵法を学ぶ。

嘉永6年(1853年)
剣術修行のため江戸に出て、北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟の千葉定吉の桶町千葉道場に入門した。12月には佐久間象山の私塾にも通っている。

安政元年(1854年)
土佐に帰郷。画家の川田小龍から西洋事情を学ぶ。

安政2年(1855年)
父・八平が死去。

安政3年(1856年)
再び江戸・小千葉道場に遊学する。

安政4年(1857年)
盗みを働き切腹沙汰となった仲間の山本琢磨を逃がす。

安政5年(1858年)
剣術修行を終えて帰国。北辰一刀流免許皆伝となる。

文久元年(1861年)3月
土佐で井口村刃傷事件が起り、龍馬の属する下士と上士の間で対立が深まる。半年後、下士は武市瑞山をリーダーに土佐勤王党を結成し、龍馬は9番目に加盟した。10月、武市の密使として長州へ向かい、翌年2月、久坂玄瑞と面談する。

文久2年(1862年)3月
沢村惣之丞とともに脱藩。その直後に勤王党による吉田東洋の暗殺事件が起り、当初は龍馬が実行犯として疑われたようである。龍馬は九州などを放浪した後、江戸へ入り千葉道場に身を寄せる。その後、千葉重太郎の紹介で、幕府政事総裁職の松平春嶽に面会。春嶽の紹介状を携え、12月、勝海舟に面会して弟子となる。

文久3年(1863年)
勝が進める神戸海軍操練所の設立に尽力し、操練所よりも先に開設された神戸海軍塾の塾頭をつとめる。勝・松平春嶽の運動で土佐藩主山内容堂から脱藩の罪を許される。しかし、8月18日の政変で京から尊攘派が駆逐され、土佐勤王党も藩によって壊滅状態となる。藩の弾圧は江戸の龍馬にも伸び、龍馬は再脱藩する。この頃龍馬は勝の護衛に勤王党の人斬り・岡田以蔵をつけている。

元治元年(1864年)
神戸海軍操練所が創設された。龍馬はこの頃、弾圧が激しさを増していた京の尊攘過激派を救うべく蝦夷地への移住計画を開始するが、池田屋事件によって挫折した。

禁門の変が起こる。これは池田屋事件へその報復であるが、多数の海軍塾生が長州側に加わっていたため、幕府から海軍塾は弾圧され、それにより勝海舟も解任された。勝の後ろ盾を失った龍馬であるが、勝の紹介で西郷吉之助(西郷隆盛)を頼って大阪の薩摩藩邸に保護される。

慶応元年(1865年)
中岡慎太郎らが京の薩摩藩邸に移った龍馬の元を訪問。この頃から中岡と共に薩長同盟への運動を開始する。土佐脱藩の仲間と共に薩摩藩の援助により、長崎で社亀山社中を組織し、物産・武器の貿易を行った。龍馬は、長崎のグラバー商会と関係が深く信用を得ていたが、8月、薩摩藩名義で香港のジャーディン・マセソン商会の信用状により長崎のグラバー商会から買い付けた銃器弾薬を長州藩に転売することに成功した。ここでも商才を発揮する。この年、「非義勅命は勅命にあらず」という文言で有名な大久保利通の書簡を、長州藩重役に届けるという重大な任務を龍馬が大久保や西郷に任されている。

慶応2年(1866年)
坂本龍馬の斡旋により、京都で長州の桂小五郎と薩摩の西郷隆盛が会見し、薩長同盟が結ばれた。

このとき龍馬は桂に頼まれ盟約書の裏書を行った。天下の大藩同士の同盟に一介の素浪人が保証を与えたものであって、龍馬がいかに双方に信用を得ていたかがわかる事例である。

その盟約書の裏書を行う直前に寺田屋で幕吏に襲撃されたが、一命を取り留めた。その傷を癒すため、妻おりょうと共に鹿児島を旅行する。これが日本で初めての新婚旅行と言われている。

第二次長州征伐では亀山社中の船・ユニオン号で長州藩海軍を支援。
※ ・ユニオン号:グラバー商会から薩摩藩名義で買い入れ「桜島丸」となり、長州藩に引き渡され「乙丑丸」となる

慶応3年(1867年)
龍馬は、海援隊を土佐藩との関係を修復して創設した。4月、いろは丸沈没事件がおこり御三家紀州藩に損害を賠償させた。船中八策を後藤象二郎とともに策定し、山内容堂を後藤象二郎が説いて土佐藩の進言による大政奉還を実現させた。

12月、京都の旅寓・近江屋で何者かに中岡慎太郎と共に暗殺された。旧暦の誕生日と命日は奇しくも同じである。その龍馬暗殺犯はいろいろ推理されているが、京都見廻組という説が有力である。

明治4年(1871年)、8月20日に龍馬の系統が途絶えるのを防ごうと、綸旨により姉千鶴の長男高松太郎が「坂本直」として龍馬の名跡を継いだ。墓所は京都市東山区の京都霊山護国神社参道中腹。なお、靖国神社に祀られている。

最後までお付き合い戴き有り難うございます。「龍馬伝」や龍馬に関する記事、満足戴けたでしょうか?これからも来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を側面から応援をし続けたいと思います。これからも応援宜しくお願いいたします。

タグ: 龍馬伝 NHK大河ドラマ 坂本龍馬

<<福山雅治・龍馬が5日から撮影開始龍馬伝ryomaden岩崎弥太郎 父系>>

<<福山雅治・龍馬が5日から撮影開始龍馬伝ryomaden岩崎弥太郎 父系>>

コメント

コメントする

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

最新記事

rakuten

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。